男の絆と栃木幼児誘拐殺害事件

 栃木で幼児2人が虐待され、誘拐され、殺害されました。勿論、そのような行為は許されないし、殺害されたことについて、痛ましいと思います。ただ、一つ、私には、引っかかったことがあります。それは、幼児の父親と、容疑者の男が先輩・後輩の関係であったことです。
 容疑者の男は、幼児の父親に対し、不満があったが、相手が先輩であったため、直接抗議できず、八つ当たりで幼児を虐待したと述べました。一方、幼児の父親も、「自分が先輩であったため、容疑者の男は何も言えず、息子たちに暴力の矛先が向かった」と認めています。そこに、私は違和感を持つのです。
 暴力には快楽が伴います。特に、自分に逆らえない弱者への暴力は、強い快楽を生みます。そして、麻薬のように暴力のサイクルに取り込まれていきます。だから、幼児2人への虐待がエスカレートしていったことは、推測できます。でも、なぜ、幼児の父親に、男は抗議できなかったのか。そして、幼児の父親も、なぜ、男が抗議できなかったという状況説明を受け容れられるのか。
 その理由を、幼児の父親も男も、幼児の父親が先輩であり、男も後輩であったからだと述べています。そして、私が目にする限りのマスメディアもこのことに疑問を持たないようです。しかし、幼児に暴力をふるい、殺害するほどの憤りを、相手にぶつけることをはばかられる理由が、先輩・後輩という関係だというのは、私に引っかかりを覚えさせます。
 先輩と後輩という関係は、昔ほどではなくても、まだ神聖視されています。先輩の言うことは絶対で、そのことが正しかろうと間違っていようと従わなければならない、絶対服従の関係。女は男に従えという考えや、子供は親に従えという考えは、もはやタテマエに近づいています。そして、これからも崩れていくことでしょう。でも、先輩・後輩の関係は、生きています。
 例えば、女性が「男だからって命令しないでよ」といったり、子供が「親だからって俺が思い通りにできると思うなよ」といったりする言葉は、実際にも使われるけれど、後輩が「先輩だからって指図するな」という言葉は、酒の席での冗談以外では、ほとんど使われないでしょう。そして、使った場合、たいてい後輩の側は周囲からも糾弾されるでしょう。
 そして、この先輩・後輩の関係は、女性よりも男性の間で強固なようにみえます。(女性の先輩・後輩の関係は、少し別の要素があります。多分、それは、女性は老若という基準の評価において、若い方が良いとされる風潮がまだ残っているからだと思います。)また、部活・サークルや会社において、男性間の先輩・後輩の服従関係は、しばしば彼ら自身によって望まれるものです。
「お前はわかってくれるよな?」「わかりますっ」
というようなヤオイ小説のようなやり取りをしている男性の顔は、独特のものがあります。
 「所詮、女にはわからない」「女がいると、やりにくい」というような、女性の社会進出への男性側からの反発は、この関係が成立しなくなる、というのにも一因はあるでしょう。そして、女性は男性の共同体に入るときには、この関係の役割分担(先輩・後輩)に自分の身を沿わせるかどうかを迫られることになりがちです。男同士の絆を解体し、新たな男女間の先輩・後輩関係を作るのか、それとも、自分が男性として男同士の絆に参入しようとするのか、という選択です。前者の場合、男性からの反発をかったり、人心を失うことによって失敗するリスクも高いですし、後者の場合、二流の男性として認知されかねません。どちらにしろ、男の絆にとっては女性は不穏分子だとみなされることが多いのです。
 さて、この男の絆は、美化されることもありますが、実際に絶対服従の関係であることは否めません。そして、今回の事件にも、この関係が挟まれていました。幼児を2人殺害してまで、守られた男の絆の服従関係。この2人は、幸か不幸か、母親という女性の不穏分子はおらず、男の絆は純化しています。そこまでして、守られた絆とは、いったいどれほどの価値をもつのでしょうか。
 男女の服従関係があるべし、と言われた時代に、女性運動家やフェミニストは、その関係に正当性がなく、撤廃する必要があると主張しました。(そして、今も主張しています。)そこで、明らかになったのは、関係は、現に成立しているというのが根拠であって、根拠があって成立しているのではないということでした。女性が男性に服従しなければらない、というのは、男性が主導権を握る関係があるので、女性が服従しているのであって、男性が優れているから女性が服従しているのではない、ということです。これは、男女の関係に留まる問題ではありません。
 男の絆も、絆があるから、後輩が先輩に服従するのです。その根拠はありません。容疑者の男が、幼児の父親に抗議できなかったのも、根拠はないでしょう。ただ、2人は先輩・後輩の関係だったから、抗議できなったのです。もし、その関係が壊され、容疑者の男が幼児の父親に直接抗議できていたら…私は、当事者でもないし、詳しい事情も知りません。だから、こんな妄想に意味はないでしょう。それでも、もし…