「東京都に抗議する!」の件に関して

すでに終了してしまいましたが、このような署名運動がありました
「東京都に抗議する!」http://www.cablenet.ne.jp/~mming/against_GFB.html

女性学の担い手である上野千鶴子氏を、東京都が「ジェンダフリー」という言葉・概念を使用する可能性があり、不適切だとして、上野氏を国分寺市で開かれる人権講座の講師への起用を中止させた事が発端です。

上野氏はこの件に関して東京都側に公開質問状を送付し、一月末日までに答えるよう要請しています。(多分、答えはないでしょう。)内容は上のリンク先に詳しく書かれています。

さて、この署名運動ですが、上野氏の支持層でも分断があるようです。以下のブログをリンクさせていただきます。

Fem Tum Yum(1月6日) http://d.hatena.ne.jp/tummygirl/20060124

ここのコメント欄では、この抗議活動が「先走り」であるかどうかが言及されています。上野氏自身もよく述べていますが、フェミニズムは一枚岩ではありません。このような行動に全てのフェミニストが賛同すると言うのはありえませんし、上野氏に懐疑的なフェミニストもいます。ですので、このような現象が起きた事自体が非常にフェミニズム的だといえるでしょう。フェミニストには、一人一人に主義主張があるのですから、必ずしもこの運動に参加する必要はないと思います。同時に、このような署名運動が起きる事も自由であると考えます。

私は、このコメント欄でのcyanさんの主張に着目しました。

・署名文と上野氏の間に、明確なスタンスの相違が見られること
抗議文:『ジェンダー・フリー」という観念は(略)という意味に理解される。』
上野氏:『「ジェンダー・フリー」の使用について一致がなく(略)用いない者が多い』
これは上野氏の事件を利用した自分に都合のいい方向への誘導ではないかという懸念を覚えます。

確かに、抗議文はややわかりにくく、上野氏の意図する抗議と全く重なるものではないと、私も同感じます。また、この抗議運動に参加する事で、抗議運動を立ち上げた団体の「ジェンダー・フリー」定義に同意したものとみなされる可能性は否定できません。要するに、『抗議運動をしているのは「ジェンダー・フリー」を採用する「他の人」であり、上野氏自身ではないこと』と『上野氏への賛同』を混同しないかという疑念です。

上野氏は公開質問状の中で

私自身は「ジェンダー・フリー」の用語を採用しないが、他の人が使用することを妨げるものではなく、とりわけ公的機関がこのような用語の統制に介入することには反対である。

と述べています。

私自身の見解ですが、この行動は、上野氏からの発信ではなく、上野氏を講師として採用する事を中止させた東京都への、自律的な抗議活動とみなしたいと思います。抗議文では、上野氏からの要請であることや、上野氏の出した公開質問に触発されたとは書かれていません。このことから、この活動は、参考として上野氏の公開質問状を付記しているが、あくまでも上野氏とは「他の人」の活動であると、<私には>認識できました。ですので、署名に参加しました。

この抗議文はcyanさんの述べるように「上野氏の事件を利用した自分に都合のいい方向への誘導」ともとれる、多少荒削りな部分があったと思われます。ただ、この抗議活動は1月23日から26日という非常に短い期間で行われている事から、持続的な団体行動に参加させる意図が強いとは思われず、「本件は上野氏主導ではなく、周囲の人物による個人的活動である」と明記しなかった不手際があったとしても、それ以上になんらかの行動を起こすきっかけを作った、有意な運動であったと評価します。

また、もし、先走りや上野氏の意に反する形の運動である可能性を踏まえ、上野氏自身からの指摘を待つ形をとり、万が一そのような指摘があるならば、主催者は勿論、署名者にも上野氏への謝罪と、認識の誤りを正すアクションが必要であると考えます。その覚悟の上、署名しましたので、上野氏からの指摘がありましたら、またここで言及したいと考えます。

また、この活動には別の批判もあります。

(元)登校拒否系(1月25日) http://d.hatena.ne.jp/toled/20060125

こちらでは、

はたして西尾幹二さんや林道義さんにも、同じように「自由」を快く認めることができるだろうか? はたまた、『マンガ嫌韓流』の作者や、石原慎太郎さんにも? 渡部昇一さんにも? もっと言えば、人種差別主義者や部落差別者に税金を払って講演を依頼することを容認できるだろうか?

として、この活動が「言論の自由」を根拠に始まっている事を批判しています。ですが、本議論は「人権講座」において、上野氏が「ジェンダー・フリー」の言葉・概念を使うことを理由にした東京都への抗議運動についてです。仮に、西尾氏などが「人権講座」の講師としてふさわしくないと東京都に判断された場合、その正当な理由をやはり東京都は示さなければなりません。この運動はあくまでも「正当な理由」を東京都が示していない、またその理由の根拠に「ジェンダー・フリー」がありその概念解釈に疑問があることが問題ですので、この批判は少しずれていると思います。私は上野氏に自由が与えられるように西尾氏にも自由は与えられるべきだと考えています。また、上野氏や西尾氏に反論される自由もまた保護されなければならないと考えます。

また、今件は権威をめぐる問題であるという主張は、もう少し議論になれば触れたいと思いますが、現段階では私は問題視していません。「人権講座」という非常に啓蒙的なスタイルをとった企画にまつわる問題ですので、アカデミズムからの反発はむしろ自然だと感じます。

また、国分寺市の当事者としての意見もあります。

mut3の日記(1月24日) http://d.hatena.ne.jp/mut3/20060124

私は国分寺市民として、上野千鶴子教授の講演も聴きたかったし、都の推奨する講演も聞きたかった。講座自体が無くなってしまうなんて、どうして?

どうしてもネットという地域性から離れてしまいがちな空間で、このような声は拾えてよかったです。抗議活動とは別の視点ですが、参考になりました。